歓迎の言葉

神奈川教区長 中道善次


教区長の歓迎挨拶

「人々はペテロとヨハネとの大胆な話ぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただのひとたちである事を知って、不思議に思った。」(使徒行伝4章13節)

 第4回全国信徒大会が神奈川教区で開催される事を喜んでおります。皆様が全国より横浜の地までおいで下さり、心から感謝いたします。ご存知のように、横浜は日本で最初にプロテスタントの宣教が開始された土地です。そしてこの場所で、日本のキリスト教会の信徒の力が開放されることを願っております。

 信徒の活力が生かされるように!と叫ばれて久しいのですが、それが全国信徒大会や信徒局という形で具体的に表されてきていることは素晴らしい事です。

 新約聖書を見ます時、宣教はやはり信徒から始まりました。それが使徒行伝4章13節です。私たちは、ここで説教しているペテロとヨハネは、使徒というタイトルが付く、いわゆる教職者として理解します。

 ところがペテロとヨハネの説教を聞いたエルサレムの人々の反応の言葉から、彼らがこの時は「信徒」として見られていた事がわかります。「無学のただ人」とは、響きのよい言葉ではありませんが、調べてみると次のような意味となります。「無学」とは専門教育を受けていない、現代流に言えば神学校を出ていない人です。「ただ人」とは普通の人、現代流に言えば神学校を出ていない人です。ペテロとヨハネは使徒としてエルサレムで説教を始めたのです。

 私がロスアンゼルス教会にいた頃、月1回の独唱の奉仕をしていた男性の信徒は、旅行代理店を営んでおりました。当時奥様が重いリュウマチで苦しんでおられました。苦難の中でその方は、独唱の奉仕を負担に感じていた時、奥様より「賜物を土の中に埋めると、持っているものまで取られてしまうよ」と忠告されました。その後、彼は賛美の奉仕だけでなく、毎土曜日ラスべガスまで伝道に出かけるようになりました。さらに神学校で学び、今年60歳を越えて卒業をされ、まもなく伝道者として第二の人生を始めようとしておられます。信徒奉仕者が伝道者になってゆく、これが使徒行伝に見られる一つのパターンです。伝道の主体を信徒が握る。そのような教団となることを祈りつつ、「歓迎の言葉」に代えさせていただきます。


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