第9分科会 日本プロテスタント宣教の歴史を訪ねて

横浜ホーリネス教会 藤巻 充


〔T〕 日本のプロテスタント宣教年表

1853年(嘉永6年) ペリー来航
1854年(安政1年) 開国 (日米和親条約)
1858年(安政5年) T.ハリス(日米修好通商条約)は、神奈川、長崎、函館の開港と居留地における米国人の信仰の自由と礼拝所の建設を認めさせた。
1859年(安政6年) 宣教師の来日
 J. リギンス (5月、長崎)
 C. H. ウィリアムス (6月、長崎)
 J. C. ヘボン (10月、神奈川)
 S. R. ブラウン (11月、神奈川)
 D. B. シモンズ (11月、神奈川)
1860年(万延1年) J. ゴーブル (4月、神奈川)
1861年(文久1年) J. H. バラ (11月、神奈川)
1865年(慶応1年) 矢野玄隆、日本で最初にJ. H. バラより受洗。
1870年(明治3年) M. E. キダーがヘボン施療所で英語の授業をはじめる。
(フェリス女学院の前身)
1871年(明治4年) 5月、J. H. バラが小会堂を建設。
8月、プライン、ピアソン、クロスビーの3人の女性宣教師によって、アメリカン・ミッション・ホーム設立。(横浜共立学園の前身)
1872年(明治5年) 3月、日本基督公会(現、海岸教会の前身)がS. R. ブラウン、J. H. バラらによって、無教派の教会として創設された。
9月、第1回宣教師会議で日本語の聖書翻訳、超教派の神学教育が計画された。
1873年(明治6年) 2月、N. ブラウン、J. ゴーブル、横浜に来航。キリシタン禁制の高札撤廃。
3月、横浜第一浸礼(バプテスト)教会創設。
6月、R. S. マクレーによりメソジスト・エピスコパル日本宣教部組織。
1874年(明治7年) 3月、S. R. ブラウン、J. C. ヘボン、D. C. グリーン、R. S.マクレー、N. ブラウン、J. カイパー、W. B. ライトの7名で聖書翻訳委員会を結成。
1875年(明治8年) 6月、R. S. マクレーがメソジスト派の天安堂建設。
7月、日本基督公会が石造の大会堂を新築し、横浜海岸教会と改称する。
11月、住吉町教会(指路教会の前身)設立
1月、クララ・サンズ、横浜来航。邪蘇教説教所(神奈川教会の前身)設立
1877年(明治10年) 9月、日本基督一致神学校(明治学院神学部の前身)開校
10月、日本基督一致教会設立
1880年(明治13年) 4月、新約聖書の翻訳完成。
10月、ブリテン女学校(成美学園)創設
1884年(明治17年) 10月、A. A. ベンネット、横浜バプテスト神学校(関東学院の前身)創設
1885年(明治18年) 聖安得烈(アンデレ)教会設立
1887年(明治20年) 1月、芝白金に明治学院創設。
2月、共同委員会訳旧約聖書出版
10月、英和女学校(捜真女学校の前身)創立
1893年(明治26年) 横浜組合教会(紅葉坂教会の前身)設立
1901年(明治34年) 東洋宣教会(日本ホーリネス教団の前身)宣教開始。
1904年(明治37年) 東京神学社(東京神学大学の前身)、植村正久により創立。
1914年(大正 3年) 東洋宣教会横浜支部(横浜ホーリネス教会の前身)、長島町に伝道開始(牧師、飯野十造)。
1917年(大正 6年) 10月、日本ホーリネス教会(教団)創立。東洋宣教会横浜支部は横浜ホーリネス教会と改称(牧師、森五郎)。
1939年(昭和14年) 6月、宗教団体法公布
1941年(昭和16年) 6月、日本基督教団成立
12月、太平洋戦争勃発。宣教師帰国。
1942年(昭和17年) 6月、ホーリネス系三派、政府弾圧により教会解散命令。
1943年(昭和18年) 12月1日、横浜ホーリネス教会牧師菅野 鋭(すげの とし)、横浜拘置所で殉教。
1945年(昭和20年) 終戦
1947年(昭和22年) 横浜学院創立
4月、関東学院大学開設。東京神学大学開設。
1949年(昭和24年) 6月、日本ホーリネス教団の再建。茅ヶ崎ホーリネス教会再建(牧師、尾花晃)。
1951年(昭和26年) 1月、横浜ホーリネス教会、西区南軽井沢に再開(牧師、尾花晃)。
1954年(昭和29年) 4月、口語訳「新約聖書」刊行。
1955年(昭和30年) 4月、口語訳「旧約聖書」刊行。
1959年(昭和34年) 11月、日本キリスト教宣教100年記念大会挙行。
1987年(昭和62年) 9月、プロテスタント、カトリック「新共同訳聖書」刊行。


〔U〕 初期宣教師たちの生涯、創設した学校や教会、並びに聖書翻訳や社会事業など

・ J. C. ヘボン(1815. 3.13−1911. 9.21)
プリンストン大学、ペンシルヴァニア大学医科。中国伝道、5年後帰国。長老教会宣教師として1859年10月17日、神奈川に到着。成仏寺に居を定める。日本宣教33年。施療(眼科医)と「和英語林集成」(辞典)出版と聖書翻訳をした。ヘボン式ローマ字を考案した。ヘボン夫人は英学塾を開いて高橋是清(のちの首相)らが学んだ。1887年、明治学院を創設。1890年、指路教会創設。日本文化の開眼者。

・ S. R. ブラウン(1810.6.16−1880.6.19)
エール大学、コロンビア神学校、ユニオン神学校。中国宣教。1859年11月、神奈川到着。成仏寺に住む。49才であった。1862年、横浜英学所をヘボンと共に開いた。1869年、再来日した。1872年3月10日、日本基督公会が横浜で設立され、8月、奥野昌綱、井深梶之助らに洗礼を授けた。1872年9月、宣教師会議において聖書和訳が決議され、委員長に選ばれる。1873年にブラウン塾を開いて、井深梶之助、押川方義、植村正久、本多庸一ら初期日本キリスト教界の指導者を育てた。これが横浜バンドを形成した。S. R. ブラウンの努力で米国長老教会、米国改革派教会、スコットランド長老教会の三ミッションが合同して東京一致教会と神学校を設立した。

・ J. ゴーブル(1827.3.4−1896.5.1)
1860年4月1日、神奈川成仏寺に居を定めた。ペリー艦隊の水兵であった。学歴不十分のため自給宣教師として米国バプテスト教会から派遣された。N. ブラウンと共に横浜第一バプテスト教会を設立した。これは日本で二番目のプロテスタント教会である。晩年、聖書販売伝道者(コルポーター)として活躍した。

・ J. H. バラ(1832.9.7−1920.1.29)
ラトガース大学、米国オランダ改革派教会から中国宣教に派遣された。出発直前、任地が日本に変更された。1861年11月、神奈川に上陸。成仏寺に住んだ。日本語教師矢野玄隆に洗礼を授けた。在日58年。帰国後、召天(87才)。

・ N. ブラウン(1807.6.22−1886.1.1)
バプテスト派宣教師。ウィリアムス大学。ミャンマーに派遣される。病気帰国。来日した時、65才であった。ゴーブルと共に横浜第一浸礼教会を設立した。

・R. S. マクレー(1824.2.7−1907.8.18)
日本にメソジスト教会を設立させた。25年間中国宣教に従事していたが、日本開国と同時に50才の時、アメリカ・メソジスト伝道協会から日本に派遣された。1875年、横浜、山手に天安堂設立。隣りにメソジスト神学校創設(東京英和学校、すなわち、青山学院の前身)。また、朝鮮伝道を行い、メソジスト派初代監督となった。

・ M.F. キダー(1834.1.31−1910.6.25)
1869年、35才のM. E. キダーは、S. R. ブラウン夫妻と共に来日。フェリス女学院を創立。


〔V〕 キリスト教主義学校

・ フェリス女学校
ヘボン夫人の英学塾をキダーが1870年に引き継ぎ、1875年フェリス女学校開校。フェリスという名は米国オランダ改革派外国伝道局の創設者、アイザック・フェリスとその息子ジョン・フェリスに由来する。1923年、関東大震災で校舎焼失。ミス・ジェニー、ミス・カイバー死亡。

・ 共立女学校
1861年、ニューヨークに外国の婦人をキリスト教により教育する目的で米国婦人一致外国伝道協会が設立されて、1871年、M. P. ピライン、L. H. ピアソン、J. N.クロスビーが来日。当初、混血児十数名、日本人少女2,3名。1875年、校名を共立女学校と改称した。1881年、偕成伝道女学校(1907年、共立女子神学校と改称)設立。1991年、創立120周年を祝った。

・ 成美学園
1880年、H. G. ブリテンによって創設。当初はブリテン・スクールと呼ばれた。1885年、横浜英和女学校となった。

・ 捜真女学校
1886年、アメリカ・バプテスト宣教師N. ブラウンの夫人、シャーロッテ・ブラウンによって創設。

・ 横浜双葉学園(カトリック)
マチルド修道女は、1872年横浜に上陸。孤児、乳幼児を収容。1902年、横浜紅蘭女学校を開校した。マチルドは57才で来日し、40年間サンモール修道会の責任者であった。

・ 明治学院(ヘボン塾、ブラウン塾)
1863年、ヘボン夫人によって開かれた英学塾は、その後来日したD. タイソン、J. H. バラ夫人、ミス・キダーにより強化された。ヘボン塾はJ. C. バラ(J. H. バラの実弟)が担当し、バラ学校と呼ばれた。その後、バラ塾の神学生がS. R. ブラウン塾に移った。これがのちに東京一致神学校(明治学院神学部の前身)となった。

・ 横浜バプテスト神学校(関東学院の前身)
1879年来日したA. A. ベンネットは、バプテスト派の宣教師で、1884年、横浜バプテスト神学校を開設した。後に1927年、関東学院神学部となった。1919年、初代院長坂田祐(たすく)により中学関東学院が開設。宣教師のテンネーが坂田に協力した。学院のモットーは「人となれ、奉仕せよ」である。


〔W〕 教会形成(横浜バンド)

 明治初期に日本のプロテスタントには横浜、熊本、札幌の三ヶ所にバンドが形成されていた。横浜バンドを指導したアメリカ人宣教師は、S.R.ブラウンとジェームス H.バラであった。1870年頃、バラの家庭塾で英語を学んでいた青少年約30名が、英語の勉強の余暇にキリスト教を学んでいた。1872年に居留地の英米人の教会を借りて、祈祷会をしたいとの申し出があり、バラはイザヤ書32章15節や使徒行伝2章から、聖霊について語った。バラから洗礼を受けた9人は、日本でプロテスタントでははじめての基督公会を作った。バラから洗礼を受けた人たちの中の、押川方義は東北学院、井深梶之助は明治学院、植村正久は東京神学社、熊野雄七は共立女学校、本多庸一は東奥義塾と青山学院などの基督教学校の指導者となっていった。

・ 横浜海岸教会
前身はJ.H. バラ(1832−1920)によって創設された日本基督公会である。1861年、バラ夫妻は神奈川に上陸。成仏寺本堂に住んだ。その後、現在の横浜海岸教会のある場所に住んだ。1871年、そこに小会堂を建てた。1872年、まだキリシタン禁制下にもかかわらず3回の洗礼式があり、1年間の受洗者は25名となった。1873年、会員が62名、1874年には119名となり、礼拝堂が手狭となり、共立女学校などを借用した。

歴代の牧師:初代 J. バラ〔仮牧師〕(1872−1878)
稲垣 信(1878−1893、 1898−1906)
細川 瀏(1896−1898)
笹倉 弥吉(1906−1940)
渡辺 連平(1940−1974)
井上平三郎(1975−1986)
林 嗣夫(1986−1991)
岡田貴美子(1989−1991)
久保 義宣(1993−現在)

現在、長老12名、執事16名、陪餐会員約140名

・ 横浜指路教会
ヘボン創設。ヘンリー・ルーミスも協力。1874年、長老派の教会として設立された。

・ バプテスト横浜教会
N. ブラウンとゴーブルによる。1923年、中区寿(ことぶき)町に新会堂を建設。1946年−1951年、横浜ミッション診療所を開いた。1951年、日本基督教団を脱退。1958年、日本バプテスト同盟の結成に参加。

・ 横浜上原教会
前身は蓬莱(ほうらい)町教会。通称は日本メソジスト横浜教会。1951年、新会堂が完成し、横浜上原教会と改称した。

・ 横浜本牧教会
1886年創設の横浜第一メソジスト・プロテスタント教会が現在の本牧教会の前身である。

・ 横浜ホーリネス教会(菅野記念教会)
1914年3月、東洋宣教会横浜支部として伝道開始(牧師、飯野十造)。1917年には日本ホーリネス教会横浜教会と改称(牧師、森五郎)。菅野 鋭(すげの とし)牧師が1920年、横浜に着任。各地に伝道所開設。1942年、政府のキリスト教弾圧によって菅野鋭牧師の牧師職剥奪、国策違反者として検挙された。1943年12月1日、横浜拘置所にて殉教。1949年、日本ホーリネス教団が再建された。尾花晃牧師と戦前の信徒で1951年、西区南軽井沢に横浜教会を建設し、今日に至っている。

・ 救世軍横浜小隊
1895年、救世軍の士官一行14名が横浜に上陸。9月、東京に本営を、横浜にも伝道が開始され、1954年、野毛町に会堂が設立されたが、1982年に井土ヶ谷に移転した。

・ 横浜聖公会
1863年、横浜在住の英米人がクライスト・チャーチを建設した。また、横浜安得烈(あんでれ)教会を1885年に設立した。1946年にクライスト・チャーチは山手聖公会として日本人にも開かれた。聖アンデレ教会は1965年、神奈川区三ッ沢下町に移転した。

・ 横浜カトリック教会
1862年、フランス総領事館付通訳兼司祭としてジラール神父が山手の聖心教会の天生堂を建てた。開国後、プティジャン司教によって指導された。

・ 横浜ハリストス正教会
横浜ハリストス正教会は日本ハリストス正教会教団(お茶の水ニコライ堂)に属する教会である。1861年、函館ロシア領事館の司祭としてニコライは着任したが、1872年、海路横浜に着き、神田駿河台に本拠地を置いた。1889年、野毛山に横浜正教会の会堂を建てた。1955年に山手町に会堂を移したが、1980年に神奈川区松ヶ丘に新築移転している。


参考文献:「横浜キリスト教文化史」 横浜プロテスタント史研究会編(有隣堂 平成4年)


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